忌野清志郎さんへの各界からの追悼コメント/アクション


初夏の陽気の日に

昨日は、もりばやしさんの愛犬が亡くなり、
私も何度となく触れ合ったわんちゃんだったので、
お花を持って御前に会いに行きました。
そして、家に戻ったら、清志郎さんの訃報が。。。
穏やかな初夏の陽気の日に、寂しい知らせが相次ぎました。
天国に旅立つのに今日の日は気持ちがよかったのかなあ、、、。

朝日美穂(シンガーソングライター )
http://blog.livedoor.jp/asahi_chikuon/archives/2009-05.html#20090503


さっき知って言葉を失った。

清志郎さんが死んじゃった。


今日は1番好きな「I LIKE YOU」を聞こう。

そんなに考えることはないさ
はじめに感じたままでいいさ
そのままで十分素敵さ
本当のことだけでいいさ



悲しいなー。

いかす(オレスカバンド
http://blog.excite.co.jp/oreskaband/10966870/



偉大なかたが


偉大なアーチスト「忌野清志郎さん」が他界した
音楽界に日本に地球にとって損失だ
とても残念な気持ちでいっぱい

お疲れ様でした
ゆっくりおやすみください。
ご冥福をお祈りします。


石塚良一/レコーディング・エンジニア
http://ryoishi.seesaa.net/article/118505303.html



いとうせいこう

追悼。

巨星墜つ。

しかし、清志郎さんが巨星であることには何の変わりもない。

 
俺は大学時代、RCのコピーバンドをやっていた。
俺は遊び半分のボンゴ担当から始まって、やがてボーカルになった。
というか、コピーの対象がRCになったと同時に、俺はボーカルになったのである。
つまり、俺の初めてのまともな音楽活動は清志郎さんの真似だったわけだ。

同じ大学時代、ニッポン放送でADのバイトをしているとき、俺は間近で清志郎さんを見た。タモリさんが清志郎さんを呼んだのだった。
数年後、そのニッポン放送のロビーでヤン(富田)さんと一緒に、清志郎さんに12インチシングルへの参加をお願いしたのは奇遇だった。
そして、『BODYBLOW』のバックでハープを吹いてくれたのが清志郎さんだ。

 
俺には大きすぎる存在である。

これまでも、これからも。




 
『ヒッピーに捧ぐ』が今、かかっている。

http://ameblo.jp/seikoito/



清志郎さん


雲の上の存在。

それは俺が高校生の時から変わらない存在感。

そして未だ信じられない事実。

俺は何度か一緒にステージに上がったこともあるし、

一緒にピアノを弾いたことを誇りに思うし一生忘れない。

心よりご冥福をお祈りします。


伊東ミキオ/キーボーディスト
http://blog.mikio.net/?eid=902075



本当なのか?キングオブソウル……男子イズムの代表かつ越えれない永遠の壁……本当に忌野清志郎が死んでしまったなんて!!



俺は本当に多大なる影響を受けエセ清志郎チルドレンなんかとは格が違うのだ!!


この人で本当の自分の真実のラブソングを教わり音楽の深さを知り……今まで踏ん張ってやって来たし今もやってる。


何だか暫くショックが抜けなそうだわ。


今日早く帰ってまた聴かなきゃ……本当嘘みたいだろ?


嘘なら最高なのにな。

イマヤス (スキップカウズ) 
http://ameblo.jp/imayasu/entry-10253488447.html



忌野清志郎さんが
二日に
亡くなったそうです。

自分が
中学生のころから聴いていた
日本のロックの神様。

そして最近は
応援してる間寛平さんのアースマラソンの応援歌も歌ってて
なんか
自分が思ってた以上の喪失感があります

ヒッピーに捧ぐ

スローバラードが
頭の中でずっとなっていて
悲しみが込み上げて来るけれど

俺らはバンドマン!
ガッツリと頑張らねば!

そう
心にしっかりと
今また
焼き付けました。

清志郎さんありがとう

お疲れ様でした。

今井秀明横道坊主
http://blog.livedoor.jp/thrilllounge/archives/51210848.html



「オレとしては忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れません!
彼はオレの青春そのものだったし、年下なのに師として仰いできたし
これからもだ。忌野さんには一生勝てないし勝つ気もない。
若い頃から希有な天才性を発揮してたし随分まねさせてもらったよ。
まだ恩返しもしてないのに彼が勝手に逝くはずもない。
だから冥福を祈らないし、告別もしない。
オレだけは絶対に忌野清志郎の死は、認めないから」

泉谷しげる



 清志郎君へ

あまりに突然で、言葉が出なかったよ。
癌だからといって君が死ぬわけが無いと、キングだからとか、ゴッドだからとか、そういうんじゃなくて、君が生身の人間だという事を知っていた上で、でも、そう信じていたんだ。
化学療法も、民間療法も君ほど知っている人間はそうはいなかった。
誰が死のうと、君だけは確実に自分が生きて行く方法を見つけられる男だと思っていた。
電話で聞いた君の声は元気そうだった。僕の還暦コンサートを楽しみにしている、と言ってくれたし、飛び入りする約束もしてくれた。
暇だから7月くらいには一緒に曲でも作ろうか、とも言っていた。
だから僕は君の死に対して、何の準備もできていないし何の覚悟も出来ていないままだ。

僕は君の横や後ろで演奏しているのが本当に幸せだった。
ほら、こうやって「だった」だなんて過去形で喋る事にはまだまだ抵抗があって、しばらくは馴染まないだろうなあ。
でも、一緒に演奏しているのが一番幸せだった。なによりもそれを言いたい。
こんな時によく言葉にする「ありがとう」っていうのとはなにか違う気がする。
誰よりも近くで君の声を聞いていたとしても、君はべつに僕に向かって音楽を発しているわけではなく、聴衆に向かって、いやそのもっと後ろの広い広いどこかに向かって声を発していていたのだから。
僕はそれが手伝えて、共犯者になれて嬉しかった。
君はステージの上で飛んで跳ねた。
いっしょになって僕も君ほどではないけど飛んで跳ねた。
まるで子供のようにステージで遊び回るのが世界で一番の贅沢な楽しみだった。
僕はステージ上で演奏しながら君の歌に何度も何度も感動した。
そんな歌手は他にはいない。
君はまぎれもなく、最も素晴らしい音楽家だ。
本当にそう思っている。

書きたい事は山ほどある。
君の知らない所で、君に人生を変えられた人間も山ほどいる。
音楽の世界だったら、よりいっそう。それはとんでもない影響力だったのだ。
君はさほど気に留めてはいなかったろうけど・・・。

あらためて、君と同じ時代、同じ場所で生きられたことに感謝します。 僕はこれからも生きて行きます。
自分でこの言葉を強く言い続けていないとすぐダメになっちゃいそうなので・・・。

また、会おう!


梅津和時
http://www.k3.dion.ne.jp/~u-shi/090503.html



清志郎さん。
ビックリしました。
僕らのユニット『ミツキヨ』の復活が叶わず悔しいけれど、
オリジナリティあふれる人生を、誰もまねできない音楽を、
存分に楽しんだことと思います。
お疲れさまでした。

及川光博
http://www.oikawa-mitsuhiro.com/information/index.php?id=1241277084



20年前のことになりますが、清志君とロンドンでしばし一緒に過ごしたことがあります。
アルバム『RAZOR SHARP』の制作時のことで、その時のことは『忌野旅日記』にも記されている通り。

 過激で大胆で向こう見ず、といった印象の清志君。
ロンドンのとあるレストランでちょっとした出来事があって、
アテンダントから「オー、ノー、ノーティ・ボーイ!」なんていわれて、
それから「ノーティ・ボーイ」という言葉がお気に入り、なんてことがありました。

 「ノーティ・ボーイ」ってのは、いたずらっこ、腕白坊主ってことですが、
まんま清志君にあてはまりそう。ですが、
その実、清志君、繊細で、人を気遣う細やかさを持った人物だってこと、
ロンドンで共に過ごした一月あまりの日々に知ったのでした。

清志君のご冥福を祈ります。

小倉エージ (ディレクター/音楽評論家)
http://kitami.blogspot.com/2009/05/blog-post.html



涙が止まらない。。

自分は貴方に憧れてバンドを初めました。。

何度もライブを観ました。。

長野で、野音で、武道館で。。

ポカスカジャンを結成して、
貴方に逢うことができました。。

日進パワーステーションのカウントダウンイベント。。

「スローバラード」を「相撲バラード」で歌い、
「雨あがりの夜空に」を風呂あがりの格好で歌った。。

貴方は舞台袖からポカスカジャンを観てくれてました。。

ライブが終わって、

「サインして下さい」と言うと

「要求的だなぁ」って

貴方らしく答えてくれました。。

あの日枡にしてもらったサイン、
ずっと飾ってあります。。

その後も貴方に逢うと、

「おっ、ポカスカジャン

「たまにテレビで見るよ」

なんて言ってくれましたね。。


大好きです。。

忌野清志朗さん。。

キング・オブ・ロックンロール。。

ありがとう。。

大久保ノブオ (ポカスカジャン)
http://blog.livedoor.jp/psj_okubo/



清志郎さんが死ぬとか…

ありえん…

ガガガSP
http://ameblo.jp/ga3sp/entry-10253495135.html



ヒッピーに捧ぐ


ガクエムです。

僕は忌野清志郎さんが大好きでした。

彼の唄が大好きでした。

とても残念です。

Rest in Peace


GAKU−MC
http://ameblo.jp/gaku-mc



東大門のウズベク食堂で夕飯を食べるっちゅー企画でさー!何か砂漠のイスラム系の異国情緒を楽しんでいたのよ。羊の串焼きとかさー!
勿論ウオトカをあおりながらヘラヘラしてたんだよ。したらケータイがなってさ!空からだったんだけど何か柔らかい前兆は感じたよね。K子に代わったら泣きながら清志の訃報。覚悟はしてたけど、、。そんな早いんだ。生き物は死ぬけどさ。あたしはわりに冷徹な方だけど、、。少し泣いた。誰にも何も言って欲しくない!ホントに何も言って欲しくない!勿論現実性がない事は解ってる。地下鉄でホンデに向かいながら辛くも憶えてた清志の家の電話番号回したら彼のK子が出て暫く話をした。
春日博文
http://hkasuga54.exblog.jp/8238567/



タイトル : ざけんなー

キヨシが死んだんだって!
ざけんなー!
俺は受け入れない それが事実だろうがどうだろうが
俺はそれを受け入れない!

http://www46.tok2.com/home2/kaoru//bbs10/wforum.cgi?no=2561&reno=no&oya=2561&mode=msgview&page=0
加奈崎芳太郎(元古井戸)



愛しのボス
2009.5.3 / 3:01 PM

お別れは突然やってきて、何気ない朝は、
知らん顔してオレを起こした。



小さい頃、
母に連れられて彼のバンドとよく旅をした。

普段のシャイで物静かな姿とはあまりにもかけ離れた狂気と歌声に、
幼い自分はトラウマにも近い衝撃を受けて。

同時にそこから発せられる底無しの愛と、革命を想像させるその空気に、
愕然と心が打ち震えたのも初めてだった。


子供だった自分にも、
彼は旅の仲間として隔てなく接してくれて、

オレはそれが最高に嬉しくて誇らしくて、

いつもステージの袖まで得意げに背伸びして付いていって。



常温に温めたステージドリンクをクイっと一口飲んで、
ステージに出て行く彼の背中は、

メッチャクチャにカッコよくて。





張り裂けそうです。


悲しい。


避けられねぇ。



恥ずかしくて一度も直接言えなかったけど、

本当に大好きでした。

憧れていました。


あなたに教えられて、
音楽を発信する立場になりました。

ストレッチを欠かさない様になりました。

芸術の力を知る事が出来ました。




ずっと夢を見て、
今も見てる

僕はデイドリームビリーバーで、

あなたは正しくキングでした。



ボス、オレ頑張ります。




きっとまた再会したら、
いつもみたいに優しく一瞥して下さい。


ありがとう。


金子ノブアキRIZE
http://kanekonobuaki.com/blog/?p=108


今ネットのニュースで清志郎さんが亡くなったニュースを知り驚いている。

音楽を始めた高校生の頃に歌っていた「スローバラード」を数年前に日比谷音楽堂で行われたイベントライブで清志郎さんと一緒に歌う事が出来たことはミュージシャンとして一生の宝モノです。

お会いした時の印象はステージと違っていてとてもシャイな感じの方でした。もっと積極的に話をすればよかったと今さら悔やんでます。

本当に素晴らしい音楽をありがとうございました。

心からご冥福をお祈りします。

河口恭吾
http://ameblo.jp/kawaguchi-kyogo/entry-10253456578.html



この、心臓ギューって掴まれた気持ちは何て言うたらええんやろ。


寝られへん。


17歳の時に、擦り切れるまで見たミートザワールドビートでの映像。それからCD聞きまくって

この人と一緒のステージに俺も立ったるんや!!

必死に真似した17歳の俺

30歳になった今でも、俺の耳にこびりついてる色褪せへん歌声。

メジャーデビューして、はじめて同じステージに立って、ステージそでから見た、ロックの神様。

17歳の時に追いかけたままの歌声 ステージング マイクの握り方。

全部心臓に焼き付いてるやんけ。

俺もっと頑張らなアカン

これから空まで飛ばさなアカン

ロックンロールバンドやから

17歳のまま飛ばさなアカン

明日「おっす!!ジョウヤやで〜」って元気いっぱいでブログ更新したいから、今日は今日の気持ちを書かせてや

書いとかなアカンねん

清志郎さんが居てくれたから、日本のロックンロールは転がってきたし、これからも転がり続けるんやから。

ロックンロール、空まで届け!!!!

ロックンロール、空まで届け!!!!

ロックンロール、空まで届け!!!!

上中丈弥 (THE イナズマ戦隊 )
http://ameblo.jp/mameshiba-tyson/entry-10253555453.html



忌野清志郎さん、死去


5月2日、忌野清志郎さんが
癌性リンパ管症のため
お亡くなりになりました。
本当に、本当にありがとうございました。
心からのご冥福をお祈り致します。


梶原徹也(元THE BLUE HEARTS・現THUNDER BEAT )
http://kasinoki.blog.eonet.jp/default/2009/05/post-9283.html



 残念です。本当にショックです。
 先月の2日が清志郎さんの誕生日で、
 いつものようにプレゼントを贈ったけど、
 いつも来るはずの電話が来なくて、
 おかしいと思っていました。
 どう言っていいのかわからないほど
 ショックを受けてます。

川又米利氏(元中日ドラゴンズ外野手,現野球評論家)



雨上がりの夜空に。。。


スーパースターが逝っちまった・・・

ロケットに乗って

雨上がりの夜空に消えちまった

おいら悲しくて涙もでない



ご冥福をお祈りいたします

川村カオリ 2009-05-03 21:58:10



雨上がりの夜空に。


どうしたんだ Hey Hey Baby

バッテリーはビンビンだぜ

「ビンビンだぜ!」

そう聞いていたのに。

悪い予感のかけら、なんて、ほんとに、

これっぽっちも、なかったのに。

あんまりだ。

この人を、

僕たちから

奪わないでほしかったのに。

悲しい悲しい悲しい

悲しい


川村ケン/キーボーディスト
http://blog.goo.ne.jp/kenbow_001/e/58f0c0bb0633d727d4cf776e6f52d6d3



また、ひとつ
ニッポンの
ロックが
死にました。。

5月2日は
わたしにとって
ロックの命日です。

写メは
2005年2月28日収録、
僕らの音楽
忌野清志郎 35周年 RESPECT!」
3月5日の第46回放送のための
仲井戸麗市さんとふたりきりで
「I SHALL BE RELEASED」を
演ってもらったときのもの。。。
「何故この曲なの?」
清志郎さんからも
CHABOさんからも問われました
けど、、、
2001年9月
清志郎さんが間寛平さんと
堂本兄弟』に出演されたとき、
収録から放送までのあぃだに、
同時多発テロが起きて、
清志郎さんが書き下ろした
寛平さんの新曲
「ジャングルジム」
ふつうに収録したこの曲の
歌詞の一部分が、時節柄
放送できなかったの。。それで、
9月の『堂本』収録終わりで
清志郎さんに club asiaまで
謝りにいったことがあって、
清志郎さんはいつものように
不敵な笑みで許してくれたけど、
2003年4月22日
わたしたち音組が収録してぃた
「アースコンシャス」の武道館で
清志郎さんがうたった中の2曲が
大人の事情で、ラジオの生放送で
放送されない、て事件があって、
終演後の楽屋で、清志郎さんに
「きくちのとこは大丈夫だょな」
と念を押されて、
「もちろんだいじょぶです!」て
答えた、にもかかわらずやっぱり
後日、大人の事情で、その2曲は
放送できなくなって、、、それで
2005年『僕らの音楽』で
清志郎さんの35周年を
演ることになったときに、
CHABOさんをくどぃて、
ふたりで1曲
「自由に歌えるさ」て、
うたってほしかったの。
清志郎さんにもCHABOさんにも
笑われちゃったけどね。
ちなみに、もぅひとり
板谷ディレクターに
「何故この曲を演るのか」
説明するのに、『COVERS』
コブラの悩み』から、
『TIMERS』そして
『不死身のタイマーズ』、
『冬の十字架』まで10曲くらい
聴いてもらって説明したのを
憶えてぃます。。

LOVE LOVEあいしてる』に
最初のSMAP
木村拓哉くんが来てくれたとき
木村くんが撰んだ
LOVE LOVEなうたが
「君が僕を知っている」。
木村くんは、清志郎さんのこと
ちゃんと知ってるなーて思った。
もちろん清志郎さんと共演です。
『堂本』では
「200回記念コンサート生放送」
「1st LIVE」にも来てくれました
2006年「2nd LIVE」の直前に
清志郎さんは病に倒れて、
動揺したわたしは
わたしなりのリスペクトを持って
「2nd LIVE」のオープニングの
堂本ブラザーズバンドの登場SEに
「200回」のアンコールで演った
「ドカドカうるさいR&Rバンド」
を流したくって、、開演直前まで
楽屋でメンバーと話し合って、
「特別な意味をもつから」と
説得されて断念した想い出も。。

きりが、なぃ、な。

ともかくも、
忌野清志郎さんは
吉田拓郎さん、
大瀧詠一さん、と並ぶ
わたしのロックアイドルでした。
先日届いたファンクラブの会報が
最終号?だったので、なんか
胸騒ぎはありましたけれども、、
今となっては
去年の武道館のアンコールで
「よォーこそ」を聴けたのが
夢のよぅです。

あぁ、もぅ逢えないのか。。。
現実感がなかったけれど、
なんか、やっと、涙が出てきた。
清志郎さんに
『瀕死の双六問屋』で叱咤された
あのときの気持ちのままで、
わたしは、わたしらしく
きちんと音楽と向きあいます。

ありがとう。
ボス、安らかに。。。

きくちP(フジテレビ)
http://otogumi.fujitv.co.jp/lovekp/E20090503001.html



心(ここ) にいます

清志郎さんのご冥福をお祈りします。

ありがとうの想いが届きますように。

北川悠仁(ゆず) 2009.05.03



美空ひばり石原裕次郎がなくなった時に、親が寂しそうにしていたが、ワタシは不思議でしょうがなかった。
こういう感覚だったんだな・・・。


2002年に清志郎さんが組んでいた「LOVE JETS」というバンドの『JET PARTY』(出演:LOVE JETS電撃ネットワーク)ツアーで東京〜大阪までご一緒させていただいた。

ステージでは全開のロック・ゴッドぶりの清志郎だが、打ち上げでは物静かな詩人という感じでアロンアルファで荒れたワタシの掌を気遣ってくれた。

坂本龍一さんとリリースした「い・け・な・いルージュマジック」がヒットした頃は高校生だった。バイクで集まっていた溜り場の家でよくかかっていた。


スローバラード

合掌

ギュウゾウ(電撃ネットワーク)
http://ameblo.jp/dengekigyuzo2006/entry-10253723588.html



おはようございます。

今日からちゃんとしたお休みです。


この国の人ならば誰もが目を疑うようなニュースを見ました。



とても偉大なかたが亡くなられました。

僕の憧れのミュージシャンが憧れる先人、日本のロックの神さま。

心からのご冥福をお祈り申し上げます。

清春



何てこったい…。
絶対死んだりしない人だと思ってた…。

今夜はRCのテープを朝まで聞こう。

スローバラード、雨上がりの夜空に…。
亀有でご一緒できたことは、誇りです。

オイラキヨシロ〜、どうぞよろしく〜!

ご冥福をお祈りいたします。

グレート義太夫
http://ameblo.jp/gidayu/entry-10253491194.html



早過ぎるわぁ…

清志郎さん。また対バンして欲しかったのに…またドラゴンズ優勝した日に握手したかったのに…こっちはまだまだこっちで頑張りますわ

グレートマエカワ(フラワーカンパニーズ
http://6109.jp/flowercompanyz/?blog=3380



【伝聞】
ラジオ番組「やさしい夜遊び」放送中
放送終了直前に
清志郎のニュースを読み上げて
ご冥福をお祈りします。
とおっしゃってた。

桑田佳祐サザンオールスターズ



忌野清志郎さんの訃報を聞いて、多くの方々同様に、大変なショックを受けている。
緒川さんもだ。ちなみに俺は奥さんのことを緒川さんと呼んでいる。

清志郎さん、どうか、安らかになんか眠らずに、ずっと、歌い続けていってください。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ
http://blog.livedoor.jp/keralino/archives/65254935.html



僕の中では近所のおじさんって感じの存在だった。

あまりにも小さい頃から一緒にたので、音楽家として認識するまで時間がかかった。

彼の偉大さに気づいたのは何気に最近だった。

俺の一番古い記憶はね、たぶんあれはRCのツアーかな?
みんなが打ち上げでドンチャン騒ぎしてる光景なんだ。

ちっちゃい頃よくロックンロール研究所にも行った。

初めて僕のベースを見た日に、「マリちゃんよかったね、あっくんとケンケンがいたら一生歌っていけるね」って言われたってママがいつも嬉しそうに話すんだ。

1stのアルバムを出した時も、彼は僕にコメントをくれた。
今はその言葉がとても愛おしい。

2007年12月17日に名古屋で僕は彼と同じステージに立ったんだ。

ステージで目が合って、二人で笑ったんだ。すごく嬉しかった。
真横で彼が歌うスタンドバイミーはすごいパワーだった。

打ち上げで、一緒にファンクバンドをやろうと盛り上がったんだった。

親愛なるエンジニアのコニヤンは彼のアルバムレコーディングで、まだ腹に俺がパンパンに入ってるママがコーラス録りしに来た時の事を嬉しそうに話してくれた。

コニヤン「マリさんマイクチェックするので何か言ってくださーい」
マリ「生まれるーーー!!」
だって(笑)

子供の僕が写ってるRCのパンフ誰か持ってないかな?

明日ってか、明けたから今日か
サムズアップで僕たちのパーティーだから、あなたの詩を歌うよ。
みんなも歌いにきて。


まぁ長くなってしまったが、僕の人生の記憶に彼が沢山存在している。
それがどんな事よりも財産だね。

ただ、とりあえず寂しいです。

寂しくて寂しくて 
涙が止まらないけど。

彼のように、人生が音楽でいれるように、笑って生きていきたいです。


ほんとに世話になった。

母や父と一緒にバンドをやり、兄と僕を子供のように愛してくれた事を心から感謝します。

ありがとうキヨシロー

あいしてるぜベイベー

kenken(RIZE
http://kenkenweb.net/cms/kenken.php?itemid=633



その声
その姿
そのメッセージを受け取る度に
ここ日本の音楽は
強く、柔じゃない
そう思わせてくれた
そう信じさせてくれた

だから
また少し優しくなれた

世の中には
知らなきゃいけないこと
感じなきゃいけないことが
まだまだ山ほどある

もっと自由でいい
もっと自分でいい
何が糞で
何が本物か

明日からも
それを探すのみ

忌野清志郎さん

心からご冥福をお祈りします。

KEN-U
http://ameblo.jp/ken-u-cruisecontrol/entry-10253560053.html



ボスが亡くなってしまいましたね。

ほんとに悲しいです。

ホフディランとしてほんとに色々お世話になり、特にワタナベイビーが仲良くしてもらっていたので、
ちょうど先日もリハーサルでボスの体調の話をしていて、早く復帰して欲しいねと言っていた所です。。。

ホフディランにとっては、単に「ロックの神様」ではなく、実際仕事の上での色々なことを相談できる先輩であり、
精神的な面ですごく頼っていたので(レコード会社や事務所を決めるなど、大きな決断の時は
いつも「清志郎さんに相談してみよう」と頼りっぱなしだったので)、今はただ感謝の思いで一杯です。

ボスのことだから、天国でもロックしてると思います!

心からご冥福をお祈りいたします。

小宮山雄飛
http://yuhi-blog.exblog.jp/10967248/



追悼 清志郎さん
新宿リキッドルームで一緒に歌った(実際はガチガチに緊張して声はでてなかったが)「雨上がりの夜空に」は一生の思い出です。雲の上の人でしたが、あんなオヤジになれたらええなって思ってました。今夜は「スローバラード」を聴きながらビール飲みます。 黙祷

西原誠(元GRAPEVINE )



アップして

家にかえり

家族と回転寿司食べて
そのまま
どっぷりと寝込んで

起きた朝

彼が逝っていた


僕が初めて買った
レコードはRCだった

カセットテープにも
ダビングして
学校で
トランジスタラジオを聴いて

唄いまくっていた頃を思いだした

それから
25年

ある作品で悩んでいる時に
聞いた曲が

またRCだった

その曲に励まされ
刺激され
癒され

奇跡的に天気にも恵まれその作品は
昨日アップしたばかりだった

その曲を今また聴いている

大人だろ 勇気をだせよ
大人だろ 知ってるはずさ 悲しい時も涙なんか 誰にも見せられない



僕は沢山見せます
涙を

空がまた暗くなる
聴いて下さい

榊英雄
http://ameblo.jp/sakakihideo/entry-10253614578.html



、、、、、

書き込んでいる最中に
清志郎さんが癌で亡くなったことを知りました
絶対また会えると思っていた
悔しい…

坂間大介(Mummy-D, Mr. Drunk:ライムスターのMC/プロデューサー)
http://playlog.jp/maboroshistaff/blog/2009-05-03



忌野清志郎さんが逝ってしまいました。

先程ニュースで知りただ驚いています、残念です

最近ブルーノート東京ブッカーT&MG'Sで飛び入りされた時はお元気で
絶対復活すると思っていました。

また日本のロックレジェンドが去っていきました

ご冥福をお祈りいたします

合掌

鮫島秀樹(ハウンドドッグ)
http://ameblo.jp/samesame-same/entry-10253517745.html



忌野清志郎さんの
御冥福をお祈りいたします。
今日1日
喪にふくしたいと思いますのでブログは休ませていただきます。

三代目魚武濱田成夫
http://orekosogaore.blog.so-net.ne.jp/



追悼


残念なことに、昨日忌野清志郎さんが亡くなりました。
清志郎さんの実績は、日本のロックンロールバンドに与えた影響力は大きい…、
そんな感謝の気持ちを込めて、今日と明日、ステージに立ちたいと思います。
今頃、天国でオーティス・レディングイアン・デューリーとデュエットしているかも?
ご冥福を祈ります。

James

Voice "Dirty Works"(THE PRODIGAL SONS James(ex,Street Sliders)&Jimmy(Easy Walkers))
http://tpsj.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0792.html



清志郎さん、天国に行ってしまったんやね。
さっきテレビで知りました。

前にフジロックに出た時、夜松田さんが飲んでたら清志郎さんもいて、「SIONは?」と聞いてくれたらしくて、松田さんが「今日はもう寝るって」と言ったら、その店がざわついてたこともあってか「それが正解だね」と。

数少ない好きな先輩でした。

でも本当なんだろうか、、。

                                                                  • -

いろいろ想うことはあるけれど、、

力が抜けてしまった自分がいるのも確かなのだけど、、

俺は俺で、今やるべきことをこれまで通りバカみたいに一生懸命やらねばと。
アルバム完成させねばと。
やるぜい!

SION



何を書いたらいいのか分からない。書かないままでいようかとも思ったけれど、
きっとどんどん何を書いたらいいのか分からなくなる気がして、どんな事でもいいから書く事にした。
正直、覚悟しなければならないのだろうな、とは思っていた。
先日、送られてきたファンクラブの会報に、いつも掲載されている本人の近況とコメントがなく、
とても心配になったばかりだった。今はただ悔しいという思いだけが強くある。
とにかく、いろいろな事が悔しい。凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、
同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった。そのファンクラブの会報で、
宗教関係の本を送ってくれる人がいるけれど、そうしたものは必要ないので送らないでいい
、というコメントを出しているのが、いかにも清志郎らしかった。
何かこうやって書いていると気持ちが落ち着いて来た。後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。
俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと。
前に、同い年の清志郎が闘い続けているので、自分も逃げられない、という原稿を、
彼の何周年かの記念ライブのパンフに書いた記憶がある。清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、
この現世のステージから去って行った。後は残った僕たちが闘いを続けていくだけだ。
ゆっくり休んでもらいたい。一緒に同じ時代を生きられて幸運だった

渋谷陽一
http://www.ro69.jp/blog/shibuya.html?2009/05/03



ショックです。忌野清志郎さんがお亡くなりになってしまいました。私自身はお付き合いはありませんでしたがボーカリストの大先輩として尊敬しておりました。その個性は常に原色の色合いで華やかで奇抜だったし、シャウトする声は身体中から振り絞るようなアクションで発せられていました。随分昔、まだ PERSONZでデビューもしていない頃、イベント会場の楽屋で遭遇しました。私の友人がとても仲が良かったので....でも楽屋ではかなり寡黙で奇抜なステージからの印象とは正反対の様子でした。喉頭がんということでつらかったでしょう....歌を歌っている人間は声を出したときのことを身体中で覚えています。心からご冥福をお祈り申し上げます。

JILL(PERSONZ)
http://personz.syncl.jp/?p=diarylist



清志郎サンが亡くなったと先ほど知りました。

ガンって何なんだ。

清志郎サンが勝てないわけないのに。

とっても悲しい。

JiLL-Decoy association
http://ameblo.jp/jill-decoy/entry-10253507220.html



忌野清志郎が死んでしまった。

最初に聴いた彼の曲は、京都で学生生活をしていた頃、
大学の近くの「餃子の王将」衣笠店で流れていた『トランジスタラジオ』だった。

これでいきなりRCサクセションのファンになって、すんごい貧乏だったけど、
LPレコードの『PLEASE』と『BLUE』はレンタルじゃなく新品を買った。

仕事で不安になった時はよく『すべてはALRIGHT』を聴いた。
これを聴くと、本当に全てが何とかなると思えた。

マンガ家になって間もない頃、講談社の忘年会の二次会で
同じモーニング連載マンガ家の若林健次さんから「今、清志郎と一緒に住んでいる」と聞いて驚いた。
清志郎が自分の部屋に転がり込んできて、勝手に住んでる」と。
本当の話で、自身マンガ家になりたかった清志郎はマンガ家にも友達がいたようだ。
清志郎は無口で大人しくてすごく気のいい人」と言っていた。
ベタ塗りとかも手伝ってくれたそうだ。

私は心底嫉妬した。
自分も東京に住んでいたら、勇気を振り絞って紹介してもらい、
「次はぼくの部屋に1ヵ月ほど」と頼んでいたかもしれない。

あー、悲しすぎてこれ以上書けん……。
心からご冥福をお祈りします。

須賀原 洋行 (漫画家)
http://uaa-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-eb23.html



清志郎さんが亡くなっちゃったんだねえ。

悲しんだりしたら御本人からNG喰らいそうなんだけど、
でも...なんかさみしいね。

ほんとさみしいね。


なんて、そもそも そんなこと言っちゃいけないんだね。

THE SHOW MUST GO ON !

おっけえ!おっけえ!
熱かったよ♪山形!

おっけえ!おっけえ!
行くぜ♪大阪!

ティーブ・エトウ



日付が変わってしばらく経った頃に

CHICのライヴ録画映像観て

興奮気味だった僕は

お洒落フリークのリフをアコギで弾いて

プリプリ踊りながら

遊んでいました


そんな時に

ニュースが飛び込んできました


忌野清志郎さんが

お亡くなりになられました と



僕が高校生の頃

清志郎さんの歌う

STAND BY ME のカバーを聴いて

僕もこんな風に

歌えたらとなあと 思って

学校を休んでは

家でギターを弾いてました


清志郎さんの歌詞には

なんか

暗闇から救ってくれるような

力があって

きっといつまでも

若い世代にも

歌い継がれると思います



ちなみに

僕は

友達の結婚式で

「君が僕を知っている」

を3拍子にして

歌ったことがあります



また歌いたいと思いました


さっきパンを買いに行った時も

歌いながら行って来ました


死ぬまでは

好きなことをしっかりやっていこうと

思いました


清志郎さんの

ご冥福をお祈りいたします


so-to(wyolica



C&Aのロンドンのレコーディングスタジオに突然表れて・・
清さん「俺も隣のスタジオで今日からレコーディングするからよろしく・・・」
C&A「えっ!・・こちらから挨拶しなきゃいけないのにアッ・・すみません」
清さん「いいから・・いいから、それより写真・・撮っていいかな?」
清さん「今、カメラに凝ってるんだ・・カシャ!カシャ」
この時が、生・・清志郎さんとの出逢いでした。
清志郎さん・・・・・・・・・・・・・・
お疲れさまでした・・ご苦労さまでした・・・
これからも・・・・
やんちゃなで・・とてもシャイな星の瞬きでお願いします。


ありがとうございました。 
合掌・・・ chage


突然の書き込み・・・・ごめんね。
みなさんもRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」を
聴きながら・・宿題を続けてください.
ソウイエバキョウノヨルNHKFMラジオジャパーニーズゴールデンポップスデルバイ。

CHAGE
http://ameblo.jp/chage-blog/entry-10253729689.html



そのまま書けば、言葉が出ない。
それに尽きる。

音楽やその他の大切な事を「わかってる」人が、
ひとり亡くなってしまった。

もう一度、
いっしょに歌いたかった。

どうぞ安らかに。

夢の中で、またいっしょに歌わせてください。

トータス松本
http://blog.excite.co.jp/tortoise-m/d2009-05-03



嘘だと思いたい


忌野清志郎さんが亡くなられた事をたった今知った。
悲しすぎてどうしようもない。
Yahooニュースで知ったのだけど誤報であってほしい。

僕は一昨年Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴに初めて参加させていただいた時に、清志郎さんの復活を目の前で見た。
あのとき、本当に闘病なさっていたの??と思うほどのパフォーマンスで僕は本当に感動した。
歌=Soulだと改めて叩き込まれた瞬間だった。

再びの闘病の後、また復活すると疑いもなく信じていたのに、残念で悔しいです。

ほんとうに、ほんとうにお疲れさまでした。
ご冥福を深くお祈りします。


十川ともじのモジモジ日記(音楽プロデューサー)
http://blog.livedoor.jp/tmjsjp/archives/55249573.html



 去年の夏以降、あまりの情報の少なさに、気を揉んではいたのだ。突然やってきた、忌野清志郎さんが5月2日未明に亡くなった、との報。
 俺にとっては、2005年1月、渋谷AXで行なわれた『SOUL OF どんと』での共演が最後になってしまった。当日の清志郎さんは、トリで登場。ジョン・レノンの<イマジン>を日本語で歌い上げたのだが、そのあまりの素晴らしさに、終演後彼の楽屋へ速攻突入。「原曲より良かったですよ〜」「ホント〜?」「あんまり日本の歌手を褒めない俺がわざわざ楽屋まで来て言うんやから、これはホンマのホンマ!」「ホント〜? アリガトウ!」みたいな、軽い会話。
 実際、その日の彼は本当に素晴らしかったのだ。ややもすれば、RCサクセションのギミック性や、タイマーズなどの企画性が覆い隠してしまう、歌手・表現者としての凄み。先人に素晴らしいロック歌手がいたことを、ステージ脇でつぶさに再確認出来て、妙に嬉しく高揚したのを、昨日のことのように覚えている。
 俺が最も良く聴いた清志郎さんのレコードは『初期のRCサクセション』。タイマーズのコンセプトも良かった。彼の作る、怒り、焦燥、痛みを伴ったユーモアたっぷりの唄が俺は大好きだった。そして、どんと同様、「あんたと同じような表現作法はとらないぜ!」とキッパリ思わせてくれた、数少ない「内なるライバル」でもあった。
 清志郎さん、沢山の素晴らしい唄を、ありがとう。

イマジン

中川敬ソウル・フラワー・ユニオン/モノノケ・サミット)
http://www.breast.co.jp/cgi-bin/soulflower/houdanR2/houdan.cgi



2005年にゴールデンカップス渋谷公会堂でコンサートを開き、
清志郎くんはそのメインゲストだった。
その年の秋か暮れか定かではないが、かみさんと中華街へ行ったオレは
鴻昌に立ち寄った。
奥の方からエディ藩の顔が覗いて
「おう、清志郎が来てるから一緒に呑もうぜ」
清志郎くんは都内の自宅から自転車に乗り、エディを訪ねて来たのだ。
けっこう長い時間呑んで食べて、いろんな話をした。
シャイで無口な清志郎くんと、シャイなエディ藩と
こんな場合、饒舌にならざるを得ないオレとかみさんと
楽しい時間が過ぎて行った・・

清志郎くんのご冥福をお祈りします

中村裕介 (再結成 ゴールデン・カップス
http://bluesworks.exblog.jp/10862476/


清志郎さん。

必死で5/4の最終準備を進めるさなかに届いた訃報。
ぶっ倒れそうになる。

視界がちかちかする。

ショックだとか、悲しいだとか、言葉では、到底、言い表せない。

911FANTASIAをつくるとき、日本の音楽家で一番勇気をくれたのは清志郎さんだった。同時に、なさけないラブソングや、ロック心みたいなものをいつまでたっても捨てきれないガキな自分を多少許せるようになったのも清志郎さんを知ってから。僕にとって清志郎さんは、一番厳しくて、一番優しい音楽家

≪報告会≫セットリストにも
いつものように入れてあった
RCサクセション「いいことばかりはありゃしない」
大量の新曲のなか、
どうしても外せないエアプレーンなどの曲に混じって
清志郎さんの歌。

3月、岐阜で歌った。

4月、長野で歌った。

5月、また歌おうと思ってた。

でも、こんなことになってしまったら、歌って良いものかどうかも判らない。

七尾旅人
http://tavito.seesaa.net/article/118483474.html



5月2日『忌野清志郎』さんがなくなりました。
夜遅く食事してるとき、テレビのニュースで知りました。
あまりに急すぎる、あまりに、もったいない。
ウ〜ン…『ライジングサン』で知り合って、『自転車のコラム』で対談して、
嬉しくって、たまに連絡取ってた…喉頭癌になってからは、さすがに連絡してなかった。
一度、回復して、良かったと思ってたのに…もっと連絡してれば良かった…
もっと俺達のショーも見てもらいたかった。
俺の中では『最高なロッカー』忌野清志郎「♪昼間のパパはちょっと違う〜」
「こんな夜に発射出来ないなんて〜」いつも歌詞を間違って鼻歌歌ってた…
亡くなったんだ?…いや、まだまだ、生きている。
ずっと心の中に生きている

「♪どうしたんだいヘヘイ清志郎…いつものように決めて、ぶっとばそうぜい」…追悼

南部虎弾 (電撃ネットワーク
http://ameblo.jp/dengekinambu2006/archive2-200905.html#main



言葉が無いよ・・・
2009-05-03 10:12:48


昨晩京都のライブが終わって即大阪へ移動。

夜中12時頃大阪に着いた時、和佐田から電話。

清志郎さん亡くなったらしい・・・」

神様お願いだ

もうこれ以上僕の愛するミュージシャンを連れて行かないで欲しい

僕はもう泣きつかれたよ・・・。

二井原実LOUDNESS、X.Y.Z.→A)
http://blog.goo.ne.jp/m-niihara


■<<前略>>

追記

忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。
トランジスタラジオ」と言う曲に
何度も助けられました、、、。


西川 進の興奮日記(音楽プロデューサー)
http://blog.oricon.co.jp/nishikawasusumu/archive/843/0



昨日、カンザス州に入ったところで、嫁からの電話で清志郎さんの訃報を聞きました。その後、1日走りながらも涙が止まりませんでした。清志郎さんは、僕みたいなお笑いの人間にも友達のように本当によくしてくれたすばらしい方でした。この地球1周の挑戦が無事に成功した時に、本当に恩返しをしたかった方の1人でした。もう、直接恩返しができなくなってしまったことは非常に残念ですが、今は頑張って走り続け、この挑戦を成功させることが、恩返しになると思っています。明日も清志郎さんにいただいた応援歌を聴きながら走ります。心からご冥福をお祈り申し上げます

間寛平



ぼくは高校生のころ、RCサクセションに出会った。
あれからずっと、このバンド名を声にするだけで、
恋したように、ドキドキする。

路上や、スーパーマーケットの駐車場で、
夜中にギターを持って、いろんな歌を歌った。
友達が歌う、RCサクセションの曲も、特別だった。

初めてライブを見て、本人に会ったのは、
2002年の長崎でおこなわれたスカイジャンボリー
ライブの最後、雨上がりの夜空にを聴きながら、
ほんとうに雨が上がったばかりの夜空のした、泣いた。
そして、楽屋に挨拶にいっても、いやな顔ひとつせず、
「わるそーなくそがきだなー」と笑って、話してくれた。
それからも、変わることなく、
清志朗さんの曲を、聴いた。

ツアー中なんか、「COVERS」を、何度も聴いて、
イマジンを聴いて、
夢かもしれない、かもしれない、かもしれない、、と、
夢じゃないかもしれない、と。
自分の夢や、世界平和についてや、友達の夢や、、
もう、そんなことを、車の中で考えては、ひとりうずくまって、
涙してたこともあった。

清志朗さんには、夢があった。
しっかり大人なのに、少年のような、、
とにかく、清志朗さんの歌の話や、やらかしたできごとを語ると、
酒の場も、ぱあっと明るくなった。
本当に、夢があった。
花がある、というより、夢がある、の方がしっくりくる。

ステージ上で、
「おれには夢がある、それは世界平和だ。」
「愛しあってるかい?」
と、生で聴いたとき、も涙がでた。
泣いてばっかだな。

今夜は、すこしさみしい涙だ。


忌野清志朗さんが、
58歳のとてもはやすぎる年齢で、この世を去った。


心からお悔やみ申し上げます。

花男★ (太陽族
http://ameblo.jp/taiyouzoku/entry-10253537187.html



忌野清志郎さんが亡くなりました。
とても残念です。
清志郎さん、ありがとうございました。

浜崎貴司
http://www.hamazaki.org/blog/ (5月3日のみ掲載)



Rock界の神様が逝ってしまいました・・・

中学生の時、初めて聴いてショックを受け、そのまま大ファンになり

8年前に初めて同じステージに立ち、ギターソロ時に「ケンタ〜!」と言われた瞬間、あまりのうれしさに身震いしたのを憶えてます。

その後、何度か一緒にやらせてもらえた事が、僕の人生の中での最高な時間のひとつでもあります。



「ヘイ、ベイベー、愛し合ってるかいっ!?」


また観れるまた会えると思っていたのですが、非常に残念です・・・

悲しいです・・・


最高なロックスター忌野清志郎さん

今度は上の世界をロックで盛り上げて下さい!


謹んでご冥福をお祈りします。

原田喧太


原田喧太
http://ameblo.jp/kenta-harada/



忌野清志郎さんへメッセージ”

常に、誠に残念です。

今年のフジロックにBOOKER T. JONESに来てもらって、
もしかしたら清志郎くんが飛入り出演してくれたらと思っていただけに悲しいです。

日本のロック・シーン、フジロックを支えてきてくれた清志郎くん、ありがとう。
雨があがってもあがらなくても、フジロックで会おうね。
さようなら。

日高正博(スマッシュ)



「世の中に対して常に斜に構えながらR&Bを原点にした自分のロックを貫いた。
昔、イベントで一緒になった時、客席の歓声を全部さらっていくので
「おー、天敵」と声を掛けたら、何も言わずにニコッとした表情を
今でもはっきりと覚えている。
天敵がいなくなったらつまんねーじゃねーかよ」 PANTA



【伝聞】
BEAT CRUSADERS presents "Oh my ZEPP アンコールLIVE 「CUM BACK FEEL THE NOIZE」"(5/3沖縄)でのライブで、


「先日、忌野清志郎さんが亡くなってしまいました。そこで清志郎さんのカバーを即興で演奏したいと思います。デイドリームビリーバー」


というMCの後に「デイドリームビリーバー」を演奏したそうです。



ビートクルセイダーズ



「癌もロックンロールだって言っていた。
デビューのころにRCサクセションに火がついてきた。
ぐっと上がっていく時に、よく一緒にやった。前座で漫才をやったこともある。
おいらがやっても相手にされなかった」 

ビートたけし



忌野清志郎さんが 亡くなったってしまった・・・

僕は 十代の時から RCサクセションの大ファンで、CDも沢山持ってるし、コンサートにも何度も行ったし、
「♪雨あがりの夜空に」 は カラオケで、僕の十八番で、もう何百回 歌ったことだろう〜。

彼は 日本が誇る、永遠に語り告がれる ロックスターだ!

残念です。 早過ぎます!

彼と一度だけ 喋った事がある。

日比谷野音の楽屋で・・・

年下の僕にでも、とても腰が低く、謙虚な方という印象で ド派手な衣装が とても似合っていやした〜。
人間誰しも最後は あるが、まだ、早過ぎるぜ〜清志郎さん!

僕は 貴方の歌を 一生 一生懸命 歌わせて頂きます。

そして、清志郎さんの御冥福をお祈りいたします。

布川敏和(元シブガキ隊)
http://ameblo.jp/fucknfuckn/entry-10253500186.html



清志郎さん…


本当に残念です…
心からお悔やみ申し上げます。

合掌

藤沼伸一(ex:アナーキー/ソロアルバム『AreYouJap?』では2人で「ジライヤ」を制作)
http://ameblo.jp/ginsuzujapan/



キヨシロー!!

忌野清志郎さんが逝かれてしまいました。
とてもショックです。哀しいです。
この多摩蘭坂は、大学当時付き合ってた
彼女を乗せて、よくバイクで走りました。

RCサクセションの曲には、沢山の思い出があります。
回復すると信じてたのに、

今は、ただただショックです。



ご冥福を、お祈りします。

古屋兎丸(漫画家)
http://usamarus2001.blog100.fc2.com/blog-date-20090503.html



「亡くなるなんて信じられない。早すぎる。
お見舞いに行こうと思っていたところだったのに。
本当に残念だ。なんて言ったらいいのかわからない。」

細野晴臣



全神仏憎悪男

神様のクソ野郎!
この世に必要なモノとそうでないモノの区別もつかんのか?

今日、代わりに本当の神様がそっち行ったからオマエはもう用無しだ。

俺の心の中の大きな柱が崩れ落ちた…泣きすぎて具合悪い…

バンドマンにとって大切な事を沢山教えてくれた神様。
あなたの「うた」は俺の中で死ぬ事は永遠にありません。

本当に本当にありがとうございました。

増子直純怒髪天



果てしない石の軌跡 2009年05月03日


忌野清志郎さんが亡くなった。初期のRCサクセションの楽曲を何度かコピーしたことがある。
70年代フォーク世代にとっては、間違いなくcharismaのひとりだ。
RCがRock Bandとなった後も、放送禁止や発売禁止を怖れることなく、
politicalなmessageを込めたapproachを続けていた姿勢は、
正にロックンローラーと呼ぶに相応しいartistだった。
Rockが商業音楽に洗脳された音楽業界にあって、彼の立ち位置は、
後発の表現者にとって、刺激的で、かつ戒めを含んでいた。
John Lennonがそうだったように、Loveという言葉が、personalな感情のtoolだけでなく、銃や爆弾よりも強い力であることを訴え続けもした。
ロックンローラーの死に早い遅いを言うのは、意味がない気もするが、
80才90才の忌野清志郎を観たかった人は少なくないだろう。
例えば、石原裕次郎さんや美空ひばりさんが亡くなられた時、ある世代の喪失感は、とても大きかったと思う。同様に、忌野清志郎というartistは、
一般のファンもさることながら、プロアマ問わずRockを内包しているmusicianにとって、とても大きな喪失感を齎しているのではないか。
だが、彼が残したDNAは消えることはない。
そして、あの表現者としてedgeを少しでも身に付けられたらと思う。
心からご冥福を祈る。


松井五郎/作詞家
http://avexnet.or.jp/matsui/blog/2009/05/post_41.html



ニュースを見ていたら、たった今RCサクセションの忌野清志郎さんが亡くなったと流れました!

ショックですねぇ…
日本からまた、才能溢れる貴重なアーティストが、失われました。

忌野清志郎さんとは、随分昔になりますが、何度かすれ違ったり…ご挨拶程度でしたがお会いしています。
印象に残っているのは、山口百恵さんの結婚式で、たまたま清志郎さんと同じ場所だったので、その時はたくさんお話ししました。
普段はいつもにこやかで、穏やかな印象でしたね。

ステージでは一転して、独自の言葉で詞を書き、真似できない歌い方を貫いた、熱い魂の人でした。

心からご冥福をお祈りいたします。

丸山圭子(シンガー)
http://ameblo.jp/k-douzo/entry-10253493345.html




彼は高校の同級生でありながら、当時から尊敬し、また憧れのミュージシャンでもありました。その思いは今でも変わりません。残念です。冥福を祈るばかりです。

三浦友和(俳優)
http://www.oricon.co.jp/news/confidence/65834/



忌野清志郎さん


亡くなったらしい。


ガンだったけど闘ってたから、、、、、


治ったと信じてた。


早いなー。


ガンを告白してから、たった2年ちょっと。

ショックを隠しきれない。

ご冥福をお祈り申し上げます。

三原じゅん子
http://ameblo.jp/juncomihara/entry-10253482986.html



沢山
革命おこして
伝説残して


本当に偉大です



お会いした事ないのですが



ご冥福をお祈りします

R.I.P

MUNEHIROダンスホールレゲエシンガー)
http://ameblo.jp/munehiro-voice/entry-10253537318.html



忌野清志郎さん
昨晩のライブ終演後にスタッフから清志郎さんのご逝去の知らせを聞く。

僕が清志郎さんと一緒に仕事をさせていただいたのは3回程。


最初は僕がまだ米米クラブのサポートをしていた頃なので、今から24年程前、つまり1986年位だと思う。

夏の大阪の野外フェスティバルでRCサクセションのステージに数曲、米米クラブのホーンセクションが参加した。

多分、この時は全く清志郎さんと言葉を交わさなかったと思う。


次にお会いしたのは、2000年夏、村上ポンタ秀一さんと佐山雅弘さんとで立ち上げたレーベルの第一弾として制作されたアルバムでゲストとして1曲、清志郎さんに歌っていただいた時。

この時の模様はここに以前書き記している。

とにかく、シャイな人だという印象を更にここで深めた。

ステージ上のパフォーマンスからはかけ離れた印象だった。

もちろん、ステージ上とオフのどちらもが魅力的な人だった。


そして、3回目は2001年に大阪城ホールで行われた「ナニワサリバンショー」。

これは清志郎さんトリビュートコンサートで、もちろんご本人も出演されたのだが基本が清志郎さんは司会、そして彼をリスペクするアーティストが多数出演した。

ざっと記憶を辿ると出演者は、

ゆず、布袋寅泰竹中直人山崎まさよしトータス松本、Bird、斎藤和義、、、、、(敬称略)

そしてバンドはビッグバンド編成。

ここで僕は全ての曲のアレンジを担当した。

1週間で13曲のアレンジを書いたことも今となっては懐かしい。

凄く楽しいコンサートだったけど、その中でも清志郎さんが「そして神戸」を歌ったのが一番楽しかった。

2回目にお会いした時、歌っていただいた彼本人の作詞による「Hymn for Nobody」の歌詞をここに記しておきます。

  • Hymn for Nobody-

            作詞:忌野清志郎

愛してることさえ
忘れてしまうほど
日常の中でいつも
君が好きさ

限りある命が
やがて幕を閉じても
永遠の夢のように
君に夢中さ





また、大好きな人が早く逝ってしまった。


村田陽一(5/3)
http://y-murata.seesaa.net/article/118533045.html



忌野清志郎さんが亡くなった。

しばらくyoutube清志郎さんの
ライブの映像を見る。

フロント横のスペースにあった
水と缶コーヒーとヤクルトジョア
求めて部屋に戻る。

廊下で、同行の写真家、阿部稔哉さんが、
「茂木さん、忌野さんが亡くなりましたよ。」
と声をかけてくる。

「若すぎたよね」

「残念です。」

表現者は、いいわけをしてはいけない。
しかし、どんな思いで、心を込めて、
そして勇気をもって表現しているか
ということは、必ず伝わるはずだ。

そして、根底には、愛がなければならない。
自由がなければいけない。
勇気がなければならない。

茂木 健一郎
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/05/post-0edc.html



富山のアトリエの雑多な机の上にずっと置いてありました。
データ渡しのものは通常は処分してしまうことが多いけれど、
これは大切にとってありました。


2005年12月に発売された
忌野清志郎さんの35周年記念プロジェクト第6弾シングル「仕草」。
そしてカップリングの「雑踏」と「旅行」。

結婚情報誌のテーマソングだったので、厳かでかしこまった雰囲気と、
忌野清志郎さんのロックな雰囲気を融合したいとのことで、
このようなジャケットになりました。

これが最後のシングルCDになってしまったんですね。
「いつでもライブにご招待します」と言っていただいていたのに、
タイミングが合わずに失礼してしまったことが悔やまれます。
58歳とまだまだお若かったのに残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします。

森 大衛 (書道家
http://mori-daiei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-d3ee.html



清志郎氏が亡くなった。俺はレコーディングが終わった後、飲んでいる最中にそのニュースを聞いた。その瞬間から弔いの酒に変わった。日本のロックを作った数少ないオリジナリティの星が消えた。いろんな流行り、いろんな時代があっても、彼はロック、リズム&ブルースを貫いた。俺とは進む道は違うかも知れないが、リスペクトしてたミュージシャンだ!
清志郎!俺は忘れない!あなたがいつも言ってた言葉!

愛しあってるかい!
・・・イェ! 愛しあってるぜ! いつか天国でサム・クックでも一緒に歌おうぜ!
R・I・P 忌野清志郎

森山達也 (THE MODS)
http://www.themods.jp/index2.html



ボス
まだ、みんなと一緒で…
ボスのこと
信じられない気持ちのまま
旅にでています。

ただ、どっかで
ボスは見てるような気がするんで…

がんばります。
三宅伸治
http://miyake-shinji.seesaa.net/article/118486013.html



大好きな忌野清志郎さんのご冥福を心よりお祈り致します。

箭内 道彦さん



「心の美しさが歌に表れている人でした。永遠に友達です」 矢野顕子



ゆいいつむひの人だからね。
ただユニークな歌とか、そんな形として現れたもんじゃないのよ。
その全存在が忌野清志郎なの。
3月にいっしょに曲書くはずだったけど、風邪引いてて無理って連絡もらってから、
あーお電話するべきだったわあって。
虫の知らせってゆーか、きのう、パンプキンからの帰り、”夢助”を爆音できいてました。
わたしの車のCDカートリッジ(うわっ古って言われてもいいもん)には6枚入るんですが、
その他は日本の若い人やらあまり若くない人たちのCDが入ってました。
hummmと半ばがまんしながら聞いてましたが、5枚目の彼の声が聞こえた途端、
わたしの耳と心が一掃されたんです。
なんかね、山の中の薄暗いうねうね道を登ってて、
いきなり視界が開けてばあーっと街も海も見渡せた時みたいな。

Oh man, you're such a real thing, Kiyoshi-chan!

きょうはあなたに手紙を書こう。

矢野顕子
http://www.akikoyano.com/categories/g/genre:fromakiko/sub:diary





まだアースデイイベントがエコだのロハスだのへちまだのの矛盾したビジネス色でたくさんになる前に、
アースデイのステージに忌野清志郎先生が出演したことがありました。

清志郎先生はステージから
こんな世の中はどうなのよ、でもまあ、気楽にいこうよ、
と言って私を泣かせました。


それから暫くして都内某所で友達といるところ清志郎先生が自転車に乗っているのを見掛けたので、
当然知り合いでもなんでもありませんが2人して慌てて思わず
「おーわわわっ!清志郎先生!どうもっ!」
と声を掛けると
「おうっ。元気か。」
と、片手を上げて走り去られたことがありました。



私は2回も先生に会えて嬉しかったです。


子供だった私はいつか必ず上品な猫のような女になろうと思ったものですが、どうも上手くゆきません。


私は、2回も先生に会えて嬉しかったです。

矢野沙織(ジャズミュージシャン)
http://yanosaori.eplus2.jp/article/118489432.html






僕は少年時代から忌野清志郎さんの音楽が大好きだ。


その音楽的意味とか、位置付けとか、そんなことじゃなく、純粋に音楽が大好きなんだ。


僕のリアルタイムは忌野清志郎さんがソロになってからの方が身近だ。


THE2-3'Sとやってるアルバム、GOGO 2&3'S、MG'Sとやってるアルバム、メンフィスなど、どれも好きで、大学時代にバンドでカバーもしてる。


特に当時テレビドラマの主題歌だった<サラリーマン>という曲は強烈に好きだ。 <サラリーマンのドラマ君にみせてあげたい 映画のようにすぐには終わらない 遠く遠く続くこのドラマ> <サラリーマン 子供じゃなけりゃだれでも二つ以上の顔を持ってる サラリーマン 心の傷みっつよっつあてもなく漂うだけ>

上京した頃、僕はこの曲をずっと聴いてる事が多かった。

思い返すと、自分が上京して親元を離れいよいよ大人に近づいていくことへのぼんやりした不安を、この歌が埋めてくれていたからだと思う。

そして今でもこの曲は僕の中にあるぼんやりした不安を埋めてくれている。

グルーヴィンタイムというアルバムが出た時(確か編集盤などを抜かせば四年ぶりのアルバムだったと思う)、僕は大学生で、先輩とこのアルバムの曲をコピーして歌った覚えがある。
うるさい曲も最高だったけど、特にラブソングにしびれたアルバムだった。
そしてそれから幾年たった今でも、このアルバムのラブソングに僕は随分心をセンチメンタルにしてもらっている。

こうやって忌野清志郎さんの音楽について書き綴っているのは、忌野清志郎さんがお亡くなりになったとニュースで知ったからです。

僕は、たとえ忌野清志郎さんが亡くなられたとしても、その音楽はこの世に残って色あせないのだということを、これを書くことによって自分自身でも確かめたかったのです。

実際、僕自身、今は喪失感でいっぱいです。

しかしながら僕は(そしてあなたも)忌野清志郎さんの音楽を<好きだった>と過去形にする必要はないはずです。

音楽は残るんだ。

今日はサンボマスターは関係なく、いちファンとしてお礼とお別れをいわせて下さい。

忌野清志郎さん、素晴らしい音楽を(過去形ではなく)どうもありがとう。

山口 隆(サンボマスター



忌野清志郎
信じられない。
安らかに、清志郎

山崎洋一郎(ロッキンオン総編集者)



忌野清志郎さんが亡くなりました。
58歳、あまりに若い訃報に呆然としてます。
今はあまり言葉が出てこないけれど、清志郎さんが見せてくれたロックンロールの夢、ずっと忘れません。
五日のラジオ公開収録で歌わせてもらう、遺作となったOH RADIO
あなたの音楽に加われて幸せです。
走り続けてくれてありがとうございます。ゆっくり休んでください。

ヤマモリ(ロッカトレンチ)



忌野清志郎さん


あなたの音楽

あなたの歌声

あなたがくれた喜び、そして悲しみを

ずっと忘れません。


ただどうしようもなく涙がでます。

僕は今、この悲しみについて言葉が見つかりません。

音楽が好きなあの人も、そうでないあの人も、

楽器が得意なあの人も、そうでないあの人も、

あのメロディーを聴いたことがある人も、そうでないあの人も、

きっと「こんな気持ちうまく言えたことがない」のです。

そして僕もあなたのように前向きに生きることを続けるだけです。

今は心に穴が空いてしまったようで

言葉にできないほど寂しい気持ちですが

あなたの残した音楽や詩で

僕たちはずっと繋がっていられるので、さようならとは書きません。


龍之介
http://blog.livedoor.jp/hurtme/archives/50833946.html



忌野清志郎ボスがお亡くなりになりました。

ウソなんじゃないかと思ってしまうくらい全然実感がありません…。

ものすごくお世話になった方でした。

ボスと二人で書いた曲も何曲もありました。
発表されたのは『坂道』という曲と『ユーモア』という曲。

どちらも派手なタイプの曲ではないのですが、忌野清志郎そのものって感じのタイトルで「なんて深みのある人物なんだ!」と、ジワジワ感動させられたものでした。


思えば「坂道」を「ユーモア」で登りきる人生を生き続けた人でした。
こんな2曲を一緒に書けて幸せでした。


思い出はいっぱいあるのですが、今は何と言ってよいかわかりません。

そういえば、当時しょっちゅう入り浸っていた忌野スタジオ『ロッ研』にて、油絵でお互いの肖像画を描きあったことがありました。

写真はその時、私が描いた忌野清志郎さん。

本当にサヨナラなんですか…?

もう一度お会いしたいです。


ワタナベイビーホフディラン
http://ameblo.jp/watanababy-blog/entry-10253569343.html



さっき清志郎さんの訃報を聞いた。信じられない。
FM802の記念に清志郎さんが書き下ろした曲、"Oh! RADIO"にこの間参加させてもらったばっかりだ。
清志郎さんのパートも元々あるはずだった。でもそれは実現しなかった。
だから、元気ではないんだろうな・・・とは思ってた。
でもきっとあの人は癌というブルースをまた乗り越えるに違いないと思ってた。
本当にあの曲に参加できて光栄に思う。でもなんか悲しくなるじゃないか。


大阪での清志郎さんのステージは二階からしっかり目に焼き付けておいた。
最高だったのは、ラッキーラクーンのイベントが全部終わり、
楽屋にいたら何と清志郎さんがビール片手に俺達の楽屋のドアの所に立ってる。
お疲れ様でしたの挨拶と、ステージの感想を述べたら清志郎さんは、
「息子が君らの事を気にかけてるよ」と言ってくれたので、よろしくお伝えくださいと返した。
そしたら嬉しそうに「大した事なかって伝えとくよ」って(笑)
ヨシフミが「ステージ観ててくれたんですか?」って聞いたら「観てない」と(笑)
短い間だったけど、この尖った優しいロックンローラーに間近で触れられた事を
ホントにラッキーだったと思ってる。

あとは僕ら、精一杯愛し合って生きようと思います。
またどっかで会いましょう。
ビバ!!忌野清志郎!!

和田唱TRICERATOPS
http://triceratops.exblog.jp/11454460/



命について考えさせられる今日この頃。
そんな2009年5月2日。
いろんなモノをくれた大切なあの人が旅立ちました。
帰って来てくれると信じて待ち続けていたので、
どう受け止めて良いのか・・・。
お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
清志郎さんのご冥福をお祈りいたします。

渡辺隆雄(トランペット)05/03/2009 命
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rappa-nave/



坂の途中で立ち止まる

ありがとうございました。それ以上、今日は何も書けませんね。いってらっしゃい。オイラは朝9時からJ-WAVEフリーマーケットにいってきま〜す。BGMは「キミボク」です。

渡辺祐
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/

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