映画「おくりびと」が何故にワースト1なのか

おくりびと」は、説明過多なワケでもなく、言葉でなくシーンで笑わされたり、涙腺を刺激されたり、という非常に丁寧につくられた映画でした。で、私にとっては嗚咽をガマンできないくらいの大号泣映画でした。
ちなみに、映画「東京タワー」、映画「嫌われ松子の一生」でも号泣してるんだけども、こうやって見返すと、どれも「親の死」が関係しているわけだけれど、どうも自分の号泣ポイントは「伝わらない想い」みたいです。生きている時には、どうにも伝わらなかったことが、「死」という一方の終点を過ぎてから伝わったりしちゃうと、もう大変なことになってしまうのです。



で、「おくりびと


べつだん自分が感想を書くまでもないんで、BLOGでもmixiの日記でも取り上げてはいなかったんですが、雑誌「映画芸術」のワースト1に選出されているのを見て、あらら????と疑問符が幾つも浮かんだのであります。

はてさて、「おくりびと」をワーストに選ぶその根拠とはいかに?

で、新宿に行く用事があったので、大きな本屋さんに行ってみました。(何故か新宿のJUNKUDO書店には置いてなかった。それで紀伊国屋書店に行ったらば置いてあった)

で、件の「映画芸術」の記事を読んでみました。
採点方法は、複数の人たちにベスト&ワーストに点数を付けてもらい、それを合算してランクを決める方式です。


で、問題の「おくりびと」は、少数の人が最大得点を「おくりびと」に与えていたために、ワースト1になっていたことが判りました。


その方々の評価理由を読みましたが、いまいち深い部分では理解しがたかったんですが、どうも


おくりびと」のような映画が、現在の日本で高評価を受ける現状を危惧して、「少林少女」や「252」の方が誰がどう観てもダメなんだけども、敢えて「おくりびと」をワーストに!声を大にしてして言っているということのようです。
なるほど、今まで「映画芸術」という雑誌を読んだことはないのですが、確かに「おくりびと」には、映画として目新しい「挑戦」や、革新的な何かは無かったと思われます。
おくりびと」は、(そういう言説をいろんな所で目にしますが)確かに、伊丹十三監督の作品を想起させます。それは、もしかしたら山崎努さんの存在もあるかもしれませんが、どちらかというと、それは「ネタ」の使い方に関してです。納棺士しかり、グルメっぽい所しかり。でも、伊丹さんの時に感じた「新しさ」は感じませんでした。確かに。
そして、どうも、「わかりやすさ」にシラける人はシラけるようです。
なるほど、例えば私が号泣したシーンなどは、まさしく「先が読める」シーンなんですね。で、実際私はみながら「・・・あ、来る、来る、、」(オバケが出るぞ、出るぞに近いかも)→「、、、あ、ダメ。そんのなの、、そんなの、、、」→「涙が出ちゃうじゃんか〜」→わーん!!ヒックヒック・・・みたいな。


みうらじゅんさんは、こういう状況を称して「涙のかつあげ」と書いてたんだけれども、これはホント諸刃の剣。クリシェ(常套句)に過ぎてしまえば、失笑を買うわけで、私も映画館の予告篇で「恋人が病に倒れてしまった」シーンが流れるとついつい笑ってしまうので、ある部分では確かに持ち合わせている感覚ではあるんだけどね。その閾(しきい)値の違いで「ぐっと来る」/「シラける」がバっさり変わるんだろう。

そして、「広末涼子」の存在。
なんだか多くの人が彼女のことが過剰に気になるみたいです。ネットでも「おくりびと」のレビューをいろいろ漁ったんだけども、広末の笑顔一つで「残念な映画」になってる人も少なからず居たし、広末がぼーっと立ってるだけで「いやー、良かった、ヒロスエが」となってる人も居てビックリ。
「if」で考えれば、広末涼子が、他の女優さんだったらば、もっと話に現実味が出て、ファンタジー色が消えたかもしんないけども、私には、だからこそ丁度良い位にヘヴィにならずに済んでるようにも思えたのです。ヘリウムガスみたいなもんかな、広末は。


で、なんでわざわざ雑誌「映画芸術」は「おくりびと」をワースト1にしたんだろう、そもそも俎上に載せなきゃいいのになー、、なんて他人事のように思ってたんですが、、、


気付いたのです。


「許せない」という感覚


以前、佐藤雅彦さんのトークを聞きに行った時に、すごく印象に残った言葉というのが「許せない」という言葉でした。
人はすごく多くのことを大目に見られるんだけども、ある閾値を越えてしまうと、「許せない」という感覚にガツンと支配されてしまう。
「大目に見られる」というのは=「どうでもいい」ことなんだけども、「許せない」というのは、もう絶対にダメなんだ、そのために世界はまだまだ暴力に溢れて平和ではないんだと言い切ってしまうほどの感覚。(佐藤さんがそういうコトを言っていたわけではないけども、自分の中では、そういう感覚で共感したということです)


そっか、「おくりびと」がワースト(最悪)だと声を大にして言いたい人たちの気持ちは、まさに「許せない」ことなんだ。
そして、それは去年の映画で言うと私ににとっての「ポニョ」なんだと。


確かに「ポニョ」はアニメーション表現として素晴らしいんだけど、多くの人がこぞって褒め称える「ポニョ」に存在する宗佑の母親のキャラクター及びその行動が、私にとっては、あまりにワースト(最悪)なのです。想像するに、宮崎駿監督は、「ハマのイカしたオンナ」のメイキャップで、最も苦手な中年女性を醜悪なキャラクターに描いているようなんですが、なんだか驚くべくことに、そんな宗佑の母親のキャラクターのウケが、世間では良いのです。どこかの記事では「初めて宮崎アニメで理想の女性に会いました!」と、気が狂ったような文章も目にしました。
念のため記しますが、「宗佑の母親」は、あくまで「母親」であって、「母親でないオンナ」ではないです。つまりは、最低限「親としての役割(責任)」はクリアしていなくてはならないんだけど、そこがスッポリとキャラクターから、、いやむしろ、敢えてそこを踏みにじりながら(文字通り)彼女は暴走し続けているんです。ちなみに、コレはいわゆる「母性」の話ではなく、5歳の子どもを持つ「人間」としての話です。

そう、誰かが言わなければ!

そんな、「映画芸術」の責任感が、「おくりびと」をワースト(最悪)1にしたのかな。