展示「ヴィデオを待ちながら」

竹橋にある東京国立近代美術館でやってる

「ヴィデオを待ちながら─映像、60年代から今日へ」
2009年3月31日(火)〜6月07日(日)東京国立近代美術館/一般850円
http://www.momat.go.jp/


ヴィデオが出現して以降の映像表現の総覧のような感じで、その歴史がいっきに一通りみれてしまう。
少しでも「映像つくってます」な人には必須授業。
ただし、映像と言っても、あくまで実験アート映像限定なんだけどね。

展示がほとんどブラウン管、もちろんフラットじゃないやつでやってて良かった。ヴィデオとしての主張というか。
展示の説明に「Video」はそもそもラテン語の「我見る」から来てるっていうのがあるんだけど、特に初期の頃の作品は、「見られる/自分を見る」っていう視点を過剰に意識したものが多くて、中学生が玩具で遊んでるような感じすらある。


展示のスタートは、

http://www.youtube.com/watch?v=E1KEparyWDc#t=4m36s

John Baldessari"I Am Making Art"(1971)

おっさんがカメラに向かって「芸術つくってまーす。芸術つくってますぅ。芸術つくってます。」と言いながら、やる気なくポージングしてます。
ヴィデオ芸術は、その始まりからいきなり絵画とか立体の歴史を飛び越して、便器を展示したデュシャンの「泉」の地点に行ってしまうのね。それよりも、当時の芸術運動(的なもの)の流れの中で、表現の場’(手法)が1つ増えたと考えた方が自然か。


で、そんな調子なんで、当時のヴィデオ作品は笑えるものが幾つもあった。アイディア部分だけを抽出すると・・・

■目隠しでボール投げられるからビビってよける
■石けんを目に入れてシバシバする
■手を口に入れて涙流しながらオエっとなる
movie#1

■植物にアルファベットを教えるよ
movie#2

■テレビを陵辱するよ(塗る/埋める/叩く/捨てる/ガムテ貼る)
(村岡三郎+河口龍夫+植松奎二 1973、YouTubeにはないねぇ)

■レイプの忠実な比喩表現
movie#3

■元祖キャシー塚本(台所+おばちゃん+バイオレンス)
movie#4

■元祖ニコニコ動画(好きなものって好きに編集したいじゃん)
movie#5

■目隠ししている人が、自分の背中に描かれたものを壁に描く
(コレ、親子でやってて、すごく良かったんだけど、メモり忘れ)


当然、背景にはなんかしらあるんだろうけども、新しいメディアを前にして、「このメディアでどうやって遊んでやろうか」っていう、原初的な衝動がむきだしに出てて可笑しいのだ。

しかし、寂しいことに、時代が経つにつれ、「むきだし」だった表現は、説明書とセットでなければ成立しないような、小難しい「アート」になっていっちゃうんだよな。

かつての(芸術的な)先端表現は、意識してか、しないでか、すぐにコマーシャルや、ポップカルチャーに取り込まれちゃうから、それはそれで世界は楽しくなっていいんだけど、先端を走る人はもっともっと頑張ってオモシロイモノを見せて欲しいし、学芸員は拾って欲しいね。

展示の最後

Jill Miller(2003)-"I am Making Art Too"

展示の最初のやる気のないオッサンの「I am making art」をネタにしたミュージックビデオがあって、そこに現在につながる一つの「道」を示しているのだけれど、例えばYouTubeや、ニコニコ動画、ハリウッド映画やコマーシャルフィルムにまでつらなっている表現の多様な「道」を示してもよかったんじゃないかな。(そういうのは、東京写真美術館が得意なんだけど)
なんだか、このオチに「美術館」が持つ閉塞感を感じてしまう。


あとね、そこいら中にブラウン管があって、どこかの作品の音が常に聞こえている状況は、(この展示では全く触れられていないけども)ナム・ジュン・パイク的ですごく好きなんだけども、そこにこそ「映像作品」の持つ宿命を感じてしまう。
「映像」は、紙とか、立体とかと違って、時間軸がセットになってしまう。さらに音楽よりも、意識を集中させないと、「見る」ことすらできない。すごく不自由なメディア。

何が不自由かと言えば、それは、必ずしも作り手の意図した環境で、意図した流れでみてもらえるものではないということ。

今回何十という数の映像作品が展示され、ボクはその印象について書いているわけだけれども、会場でループ上映されている作品たちのうち、果たして、キチンと作品をスタートからエンド迄観たものは、ほんの2作品くらいか。
あとは、チラ見というか、いいとこどりでみるというか。そして、ココではYouTubeという、10年前にすら考えつかなかったメディア環境で、それらの映像を紹介し、それらを人々は好き勝手な状況で、好き勝手な部分を拾い見していく。


映像はフレームの外に溶け出していく。


【movie#1】
Vito Acconci - Three Adaptation Studies (1970)

【movie#2】
John Baldessari/Teaching a Plant the Alphabet, 1972. 18:40 minutes.
http://www.youtube.com/watch?v=E1KEparyWDc#t=4m06s


【movie#3】
Vito Acconci/Pryings 00:16:16 1971

【movie#4】
Martha Rosler : "Semiotics of the Kitchen."1975

【movie#5】
Transformation: Wonder Woman (1978)