映画「K-20 怪人二十面相・伝」のこと


先に世間の評判をいろいろ聞いていたんだが、たまには、日本の超大作でも観てみようと、ある種こわいもの観たさで、観てきたのです。


いやー、ほぼ世間の評判通りでびっくり。


つまり平たく言えば、
ストーリーとか、ディティールを気にしない人は高評価!


例えば、冒頭で、映画の前提となる社会背景を紹介するために戦時頃の大本営の放送のようなラジオの音が流れるんだけど「・・・云々かんぬんで、、第二次世界大戦は回避されました。」と。


果たして歴史的に「起こらなかったこと」に対して「第二次世界大戦」と言うか?とか、、、とある電気の実験で、手に持った電球が灯るのを、手を聴衆側にして「すごいでしょ」と見せたり。(カメラが、背後から撮っているので、映画の観客たちにはよく見える持ち方だけど)・・・


万事がそんな調子に進んでいくわけで、もうコレを気にし出したら、それこそ画面に釘付けになってしまうわけで。


で、ははーん、なるほど!と膝を打つように「見方」が明らかになったのは、松たか子の入浴シーンに、金城武が、思わず闖入すると、もちろん松たか子は、前を隠さず堂々と湯船から立ち上がり、まるでごく一般的な生物的な反応のように、金城武は鼻血ブーーっとなるわけです。


あー、これ、マンガだったんだ。それも小学生低学年向けの。そう考えると、松たか子の歳不相応に過剰な(古典的な)萌えキャラ路線も、わざとらしく間抜けな明智小五郎も合点がいくというものです。


そんでもって、やったらに繰り返される「こういう時には何っていうんだ?」→「ありがとうだろ」という、全国のPTAの皆さんも納得の道徳(マンガ)的なメッセージ。


加えて、悲惨なのが、金城武松たか子、中村トオルをはじめ、すべての人が「大根役者」に見えてしまうのだ。興がのってくれば、のってくるほどに。ストーリーに合わせ、演技もデフォルメした演出というのも、わからではないんだけども、ケレン味と、わざとらしいのは違うんじゃないかな。


で、無駄に2時間越える尺なのも、なんで90分にならんもんかな。尺長いと、二番館が買ってくんないのに。いわゆる「ハク付け」なのかなぁ。制作委員会に対する。


こりゃ、確かに「真剣に」(映画として)観たらば、腹が立つというもの。実際、ストーリーと、ディティールと、脚本と、役者の演技と無駄に長い尺に目をつぶれば、楽しく観られるんだけど。アクションシーンで、やたらに金城武の顔が見えなくなること以外は、画づくりはよかったから。


では、「K−20」が小学生低学年向けだという証拠VTRをどうぞ。



K-20 公式
http://www.k-20.jp/